関ヶ原古戦場
関ヶ原市の各地に、日本の歴史上において重要な戦いとなった、関ヶ原の戦いの各陣営の陣地や戦場となった場所に碑などが置かれている。それぞれの場所にある地図からもその戦況や位置関係がうかがえる。
アクセス
駐車地住所:〒503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原1361(石田三成陣跡 無料駐車場)
無料駐車場は決戦地の近くにある石田三成陣跡と、開戦地の前に十数台停められるスペースがあります。それぞれの駐車場の近くに公衆トイレもあります。国道365号から側道に出るとなると決戦地の方が分かりやすいと思われます。とはいえ開戦地から決戦地まで歩いて15分くらいなので差はないかなとも。
道のりポイント
三成陣跡前の駐車場に着くと目の前には柵がずらりと並んでいます。臨場感が高まるここは西軍の島左近の陣地です。それぞれの場所に解説の看板があるので戦いの理解が深まります。西軍の主役である三成の前衛ですから重要な人物だったということですね。
三成陣跡へ行く道は二つあります。三成陣跡の看板の横にある階段と、先ほどの島左近の看板の横の奥にある山頂への看板が示す道です。どちらも五分ほど歩くだけです。個人的に登山が好きなので山頂の看板の方へ行ってみると、草木が生い茂っていて登山っぽさは感じました。
山頂まで行くと展望台が見えてきます。そこには三成陣地の旗が揺らめいています。音声ガイド付きの地図を見ると分かるのですが、ここから決戦地や小早川氏が陣取っていた松尾山、毛利氏が陣取っていた南宮山も見えます。戦略的にも重要な位置にいたということですね。
展望台の後の奥には三成陣地の石碑があります。もしかしたらその昔、ここで作戦会議などをしていたのではないかと思うとロマンを感じます。もちろん、今後そんなことはあってはならないのですけどね。だからこそ形として残して伝えるという大切さを感じます。
登りで通らなかった方の階段を降りていくと、その道の途中にも柵がたくさん並んでいます。再現度が凄すぎておっかなかったですw 再び駐車場に着き、次にここから近いのは決戦地ですが、先に南に向かって開戦地に行きます。
三成陣跡と開戦地の間にあるのが西軍の島津義弘の陣跡です。立派な石碑が建てられています。解説の看板や道の途中の電柱にも書いてある通り、西軍の結束の甘さが歯車を狂わせ、劣勢になっても孤軍奮闘した姿が讃えられています。
こちらがすべての始まりである開戦地です。石碑や看板や旗はもちろん、近くに広場があったり駐車場もあります。ここにも地図があるのですが、そこからは先ほどいた島津義弘陣跡や、三成陣跡も見えます。ここから始まって北に向かっていくということですね。
開戦地の近くにあるのが西軍の小西行長の陣跡なのですが、それほど目立ってないので簡素ですし説明は割愛しますw そしていよいよ、ここから再び三成陣跡方面へ行き、その途中にある決戦地に向かいます。
こちらが天下分けの戦いの決戦地です。ここから三成陣地も見えますが、ここで雌雄を決した結果、三成を含め西軍が敗走していったということです。今ではその面影もなく、周りを見渡せば田んぼに町に山、こののどかさがいつまでも続けばなと思います。
イチオシポイント
この地での戦いはわずか半日の出来事だったそうです。そこからある意味で日本は平和になりましたが、江戸末期の外国の干渉に始まり、世界規模でその平和が揺らいで今があります。そういった出来事の当時地としてのこの場所の、今の姿を見て感じるものがあれば幸いです。